2人目妊娠中、切迫早産と診断され、約33wで緊急入院することになりました。
>>緊急入院編
しかし、症状はよくなるどころか悪化の一歩をたどり、NICUのある病院へ転院することになりました。
>>転院編
NICUのある病院で、張り止め薬ウテメリンの上からマグセントと言う最強(最恐)薬を使用することになりました。
「マグセント」を「マグミット」と表記していたことをご指摘いただきました。
(ご指摘ありがとうございました。)
マグミットは便秘のための薬で、切迫早産のための薬はマグセントが正しいです。
謹んでお詫びしつつ修正させていただきました。2018.8.2
転院先にて、快適さに驚く
切迫早産で入院して約10日間。
張り止め薬ウテメリンをどれだけ増やしても、定期的なお腹の張りはおさまらず、むしろ周期は短くなる一方。
マグセントはNICUのある病院でしか投与できないとのことで、転院しました。
救急車で。
で、大部屋に入院したわけですが、何これすごい快適!
転院前は「セキュリティ?何それおいしいの?」ってくらいノンセキュリティで、
外来から直結、そばに売店があるので始終人が行き交うところでした。
建物が古い病院だったので仕方のないことかもしれません。
でも、奥の方の病室にしてくれれば良いのに、そっちは産後のお母さんたちばかりだからと言われ、
入り口付近のノンセキュリティの部屋で、トイレも洗面所も遠くて、シャワーも10日間なし。
かろうじて頭を一回「ここで洗うの?」と言うところで洗ってもらえただけ。
転院先は、症状はむしろ悪化しているのに2日に一回はシャワーOKと言われ、
セキュリティは万全。
(あとで聞いたら、談話室から向こう病室には親子以外は入ってはいけない決まりだそうで。
普通、そうだよねえ。)
点滴もピーピー切れる前にきっかり終わり時間前に交換しにきてくれるし、ベッドは自動で背もたれ部分起こせるし、何これすごい快適なんですけど。
むしろ転院前の病院なんだったの???
転院前の病院、ベッドはハンドルで手動で回さないと起こせないし、なんで安静にしてないといけないのに自力で手動で回さないといけないのかって話ですよ。
「ベッドの背もたれを直して欲しい。」と看護師さんに言うと面倒そうにされるんですよ。
いや、だから絶対安静なんですよね。だから入院してるんですよね。
何度も何度も点滴残量チェックする割にはピーピーしょっちゅう切れたと鳴ってるし、鳴っても結構放置されたりとか。
だいたい、点滴の残量なんて、落ちる速度が決まっているんだから、最初の量と落ちる量を割れば終わる時間割り出せるじゃないですか。
だいたい、産婦人科病棟のはずが、他の部屋おばあちゃんばっかりだったんですけど、なぜ?
転院先は普通に妊婦と産後の人たちばかりの産婦人科病棟でしたが。
いろいろ転院先の病院と比べると、あれ?転院前の病院って、、、???
で、病院が変われば担当医も変わるわけで。
こんな私を受け入れてくれた転院先の病院と、担当してくださったお医者さんには頭が上がりません。
ちょっと転院前の病院に疑問が出てきた私の気持ちを悟ってくれたのか、
転院先の新たなる担当医のお医者さんがボソボソ独り言のように、転院前の病院の闇を話してくれました。
あー、なるほど、組合とか市の組織とか、なるほど、へー。
近いけど、近い総合病院が転院前の病院だけど、外来利用は問題なかったけど、
親族が結構入院したりしてたけど、これから入院したいと思えなくなってしまいました転院前の病院。
マグセントは最強(最恐)兵士、副作用に苦しむ
転院して張り止め薬ウテメリンに加えてマグセントを投与されました。
マグセント、恐ろしいです。
もう二度とごめんです。
なんだろう、常に息苦しい。何か見えないプレッシャーのようなものを感じる。
深海の底にいるような感じ。(深海の底になんか行ったことないですけど。)
インフルエンザに強制的になっているような、そんな辛さ。
ウテメリン投与だけの時は、手芸したりテレビ見たり本読んだり比較的まったりゆったり自由に過ごせてたんですけど、
マグセントの投与が始まってからは、テレビは目がしんどくて無理。
手芸なんてもってのほか。
かろうじて本を読んでましたが、長時間は無理で、2ページくらい読んだら休むを繰り返し。
ひたすらボーッと深海の海の底に沈んで寝ている感覚でした。
マグセントを投与していてもお腹の張りはおさまらず。
一回投与の濃度を上げられて、少しして息苦しくなってきたので下げてもらったことがあります。
濃度の高さとしては限界値ではなかったらしいものの、私の身体が持ちませんでした。
切迫入院中は、ずーっと、お腹が、子宮が風船のようにパンパンに膨らんで張っている感じでした。
特に転院先で。
切迫早産はいつまで耐えれば退院できるのか
切迫早産で入院する人が一番気になるところは、
「いつになったら退院できるのか!?」です。
どの病院も全て当てはまるのかはわかりませんが、転院先の産婦人科では、
・生まれてきた子が2,300g超えていない
・36w4d未満
のどちらかに当てはまると、強制的にNICU送り(保育器行き)になるとのことでした。
なので、切迫早産で入院してしまうと、よっぽどお腹の張りが綺麗さっぱりなくなるとか、
何か原因がさっぱりなくならない限りは、この36w4dが一つの退院の指針になるようです。
点滴(特にマグセント)を早く外したい!が
看護師さんやお医者さん曰く、
「点滴をやめた途端、産気づいてしまう人もいるんですよ。
退院しようとした病院の廊下で産気づいてしまうとか、退院したその日の夕方産気づいて戻ってくるとか。
いろいろです。」
とのことで、36w4dになるまで点滴が外れることはありませんでした。
ただし、週数が結構きているとのことで、症状が悪化してもマグセントの濃度はもう上げないとの宣告は受けていました。
(2回くらい上げて、息苦し過ぎてすぐ下げてもらったことがあって。)
やっと36w4dになって、まずはマグセントが外れました。
切迫早産で入院中は、転院前も転院先も一緒で、朝NSTテストをしたら終了、あとは寝てるだけの毎日。
その日のNSTテストも相変わらず周期的な張りを示していて、確か5分くらいおきだったはずですが、もう生まれても良いので外します。
そして次にウテメリンが外れて、点滴からやっと解放されました!
左腕の点滴から右腕に変更されて、色々不便だったんですよ。
点滴外れてすぐ産気づくか?!と思ったんですけど、そのまま退院することになりました。
あれ、、、?すごく拍子抜けです。
退院できた稀有な例になった、が
転院前10日間くらい、転院先14日間くらいで計24日間くらい入院してました。
長かった。約1ヶ月長かった。
さんざん、「点滴外れて薬なくなったら、産気づくだろう。」と言われていたのに、無事退院して、無事帰宅。
久しぶりに上の子と家で過ごす日々。
退院直前に、「一応、外来での診察方法伝えときますね。」と外来について教えてもらった私。
転院しましたからね。
「退院できるから一応聞くけど、転院前の病院に戻る?」と確認されましたが、
速攻で首振って「ここでお世話にならせてください!ここが良いです!」と言い切りました。
いや、あんなに比較しちゃった転院前の古い施設の病院には戻れませんよ。ええ。
外来検診の予定は退院した日から約1週間後。
私含むみんなが「どうせ外来に行くことなく産気づいて分娩だろう。」と思っていました。
退院できたが、今度は生まれない、、、
切迫早産で入院して約1ヶ月、退院して約1週間が経ち、あれ?検診の日が来てしまいました。
上の子を姑さんに預けて転院先の外来へ。
事情を聞いていたであろう外来の看護師さんに「来たの?」と言われ、
担当医に「あれ?まだ生まれない?」的な顔をされ。
あれだけ入院中は定期的なお腹の張りが7分毎とか5分毎とかあったのに、NSTテストをしてもピクリとも動かず。
あの入院は一体??
臨月になると、検診は毎週になります。
で、毎週外来に行っては看護師さんに「また来たの?」と言われ、
担当医は生まれないことに首をかしげるばかり。
NSTテストはやはりピクリとも動きません。
いや、本当、転院までしてマグセントまで使った重篤切迫早産患者じゃなかったのか!?と。
あの入院は一体何だったのかと。
なんか、家で安静にしてたら良かったんじゃないかと思わずにいられませんでしたが、結果論なので何とも言えず。
結局、4回外来に通いましたよ。
退院して1ヶ月くらい生まれませんでしたよ。
担当医は首をかしげるばかりで、「予定日過ぎたので、週明け陣痛促進剤使いましょう。週明け入院しに来て。」と私に告げてくれました。
あれだけ、あれだけ生まれるなと頑張って入院して激しい副作用に耐えたのに、
今度は生まれないからと陣痛促進剤!?
たまに、稀にこういう人がいるそうです。
切迫で入院したにも関わらず、生まれなくて陣痛促進剤のお世話になる人。
結局生まれたのは予定日1週間過ぎ
あれだけ切迫でお騒がせした2人目は、結局予定日を1週間過ぎた頃に生まれてきました。
陣痛促進剤を打つ前に産気づいたので良かったです。
予定日1週間を過ぎているにも関わらず、生まれてきた子は2700gもなかったので、
もし切迫早産で入院中に生まれていたら、、、と思う。
エコーでの推定体重は当てにならないなと。(エコーでは2,800gは超えてると言われていた。)
臨月入って最後の方は、1週間経ってもむしろエコーの推定体重が減ってたりしてたもんなぁ。
そりゃ陣痛促進剤打つよって言われるよって話です。
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切迫早産で入院した子の行く末は
現在2人目はもうすぐ3歳になります。
あれだけ生まれる前お騒がせした子ですが、元気に問題なく育っています。
退院して生まれるまで約1ヶ月時間があったのは本当助かりました。
入院中は上の子も旦那も一杯一杯で、あわや家庭崩壊の危機だったので、
風邪引いて1ヶ月治らなかった上の子のケアをし、荒れまくりの家の中を整え、家族全員の体調を整えてから出産に臨めたので良かったです。
もしあの時生まれてしまっていたら、肺の機能がまだ整っていなかったでしょう。
もしかしてもっと病弱な子になっていたかもしれないし、今と同じ元気な子に育っていたかもしれない。
「34wとか35wならもし生まれてしまっても、うちの小児科の先生たちは優秀だから大丈夫!」
と励ましてくれた転院先の先生や看護師さんたち。
切迫で入院中生まれてしまって、子だけNICUに残ってお母さんだけ先に退院することもあるのよ、と教わり、
泣きながら搾乳して母乳を届けるお母さんの話とか、本当に胸が痛かったです。
ただ、その場合、子が病院にいるおかげで家の中を整えやすく、お母さんの体調も戻しやすいとは聞きました。
そういえば入院や転院騒動で、母子教室とか出る暇もありませんでした。
2人目だから問題ないけど、1人目だったらうろたえてたと思います。
以上、切迫早産で入院した体験記でした。
多分、切迫早産で入院したのに予定日過ぎても生まれてこなかったのはうちの子くらいでしょう。
それくらい稀な例ということで。